2015/4/24

源信大師 安心法語〈横川法語〉

離三惡道,生於人間,應大慶喜
自身雖賤,不劣於畜牲
吾家雖貧,猶勝於餓鬼
事雖不如人意,難比地獄之苦
世間難住多憂,即是忻厭之示諭
身雖卑賤不貴,更是菩提之引導
故生人間,應該慶喜
信心雖淺,本願深故,任憑必往生
念佛雖倦,功德大故,稱念定來迎
故遇本願,更應慶喜
妄念原是,凡夫本體,妄念之外,別無心也
直至臨終,猶是一向,妄念凡夫,知此念佛
即蒙來迎,乘蓮台時,能翻妄念,成為覺心
從妄念中,所出念佛,猶如蓮華,不染污泥
決定往生,不可有疑
莫厭妄念多,應歎信心淺
故以深信心,常稱彌陀號


横川法語
まづ三悪道をはなれて人間に生るること、おほきなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや。家はまづしくとも餓鬼にまさるべし。心におもふことかなはずとも地獄の苦にくらぶべからず。世の住み憂きはいとふたよりなり。このゆゑに人間に生れたることをよろこぶべし。
信心あさけれども本願ふかきゆゑに、たのめばかならず往生す。念仏ものうけれども、となふればさだめて来迎にあづかる。功徳莫大なるゆゑに、本願にあふことをよろこぶべし。
またいはく、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。臨終の時までは一向妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて、決定往生疑あるべからず。


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